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四国見聞録:クロツバメシジミの島・関前/下 愛媛県今治市 /四国

(毎日新聞 2011/05/09)
http://mainichi.jp/area/tokushima/kenbunroku/news/20110510ddlk39040666000c.html

◇石灰石採掘の小大下、ミカンの島・大下 昔にぎわい、今忘れられ
 愛媛県今治市の今治城の石垣に生息する珍しいチョウ「クロツバメシジミ」は、武将・藤堂高虎が築城した江戸時代初期、海を挟んで約20キロ離れた関前地域から石垣用に運んできた石灰石に、卵と食草が付着していたため、と信じられている。約400年前のことだ。チョウの卵が旅したかもしれないルートを逆にたどり、関前地域の今を見た。【津島史人】

 先月下旬、今治港から船に乗り、前回行った岡村島の東隣りにある小大下(こおげ)島で降りた。面積約0・9平方キロ、周囲3・4キロ。関前地域の主要3島の中で最も小さい。しかし、この島はかつて、「島の形が変わった」と表現されるほど、石灰石の採掘でにぎわった。

 最初に訪れたのは、採掘跡から湧き出た水を利用した水源池。海底送水管で岡村島まで水を運んでいる。しかし、澄んだ深緑色をした池は、白い石灰岩質のがけに囲まれて雑木で覆われ、まるで自然の池のようだ。

 本当に採掘で地形が変わり、大勢の人でにぎわったのだろうか。

 「本当よ。あそこの山は、今よりこんだけ高かったんやけん」。港に戻る途中、ミカン畑で作業していた堀川斡弘さん(70)に尋ねると、身振り手振りで説明してくれた。堀川さんは島生まれ。にぎわいは、子供時代の日常だったという。

 石灰石は、主にセメントの原材料。旧関前村の村史によると、採掘が本格化したのは明治時代。大正期には東京や大阪などから大手資本も参入し、労働者であふれた。太平洋戦争後は、全国のセメント不足のため、復興に大きな役割を担った。

 堀川さんが案内してくれるといい、港に戻って海岸線沿いを東へ。低木が密集するやぶの奥には、石灰を焼いた炉の跡がいくつも見えた。さらに進むと、赤茶色の錆びに覆われた円筒形の塔が現れた。高さ十数メートル、直径約3メートル。リベットが打ち込んである。戦前のものだとか。堀川さんは言う。「山の上で採掘した石灰を、ワイヤーロープやベルトコンベヤで運んでためとった貯蔵タンク。昔は、同じ物が島の別の港に二つあった」。石灰は運搬船に積まれ、阪神地区などへと運ばれた。小大下島では、戦後10年で石灰石の生産量は減少。取り尽されたのだ。大手資本は撤退し、鉱山の閉山も相次いだ。77年には採掘が完全に終了。50年前に500人以上いた住民は現在、20人ほどだ。

 かつては、機械音や作業員の声でにぎわっただろう、貯蔵タンクの周辺。耳を澄ましても、波の音しか聞こえなかった。

    ◇   ◇

 続いて、小大下島から船で約10分の大下(おおげ)島(面積1・5平方キロ、周囲7・8キロ)へ。ミカン栽培で栄えた島だ。

 総代の秋山雅通さん(68)を訪ね、島の今昔を知る久保正則さん(88)を紹介してもらって話を聞いた。

 久保さんは、山肌を指差して「昔は、この山一帯がミカン畑やった」と説明する。地質のためか、島で栽培するミカンは味が良く、高い値がついた。このため、戦後までは110軒以上がミカン農家を営んでいた。

 ミカンの価格低迷、高齢化、後継者不足で島民は減り、今は約40軒と4分の1に。人口は、50年前の600人以上から100人余りにまで落ち込んだ。

 かろうじて活気が残るのは、「紅まどんな」など、かんきつ類の新品種栽培があるからだ。しかし、昨年6月には、物品や人を運搬する渡海船も廃止された。「これからも、人は減るだろうな」。久保さんがつぶやいた。

 また、この島では、うどんが郷土料理として母から娘へ伝えられてきた。ここまで来たからには、そのうどんを味わってみたい。大下婦人会の会長、山口広美さん(70)にお願いすると快諾。婦人会のメンバーと3人で、島の「加工場」を使って調理してくれた。

 うどん粉をこね、めん棒で伸ばす。ゆで上がったうどんを水で締め、シンプルにしょうゆとうま味調味料をかけ、はしですする。うまいっ!

 なぜ、うどんなのか。久保さんによると、戦後の食糧難の時代、収入につながる作物として、小麦の栽培が盛んに行われた。そこから、島民食として、うどんが発達したという。祝い事や法事、農作業の終了を祝う祭りでも振る舞われた。しかし、若い世代が島にいないため、伝統が途切れる危機にある。私が「これだけおいしいもの、残したいでしょう」と聞くと、山口さんらは「どぅやろね。子供らは島外で暮らしているし」と答えた。

  ◇  ◇

 両島とも、時代に求められて活況を呈し、時が過ぎると忘れられた。実際に島を訪ねると、島と人の息遣いが感じられた。10年、20年後に、どうなっているだろうか。人はいるのか、歴史は語りつがれているのか。「もう一度来ようと」と思い、島を後にした。

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 小大下島、大下島(ともに愛媛県今治市)へは、今治港の第3桟橋(今治市片原町1)から市営フェリーでは約1時間、小大下、大下間は約10分。フェリーの両島へ発着する便は、1日3本。その他、旅客船も出ている。水源池は、小大下島フェリー発着所から歩いて5分。石灰石の貯蔵タンクは、海岸沿いに歩いて15分で行ける。
by parnassus7 | 2011-05-09 20:20 | シジミチョウ科
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